逡巡

札幌の感染者数が連日わたり数百人と報じられると、さすがに色々な事を考えてしまう。まん延防止から緊急事態宣言に変わったところで、個人の対策も事業者の対策もたぶん変わらないだろう。

「人流(じんりゅう)」なる新たな言葉が出てきて、今は人の流れを止めることが収束の要だと言う。

しかし働く世代の多くは出社して働かなければならないし、人流なるものを止めると言う事は休業を意味する場合も多いのではと想像する。休業と言う事は雇用が崩れていく。また学校を休校にと言う専門家の声もあるが、たぶん私を含め子どもがいる家庭の多くは反対だろう…

結果、思うのはこの1年間、欧米などより感染者が圧倒的に少なかったのに、何でこんなに混乱し、困窮しているのか、何の対策を準備していたのだろうかと言う事にたどり着く。

感染症の対応をされている医療を含め全ての関係者には、本当に頭が下がりただただ感謝しかない。

「何が問題なのだろうか…」と私が考えても意味はないのだが、お寺の活動を考えるとどうしても考え、あれこれと逡巡する。

かなり予防対策と状況を考えて1年間止めずに続けてきた法座活動。お寺の門を閉じることは絶対にしないが、法座活動の方法をもう一度なにか考えなければならないのか、この1年のやり方で継続していくか…また逡巡。

答えが出ない逡巡の繰り返しにきっと多くの人が疲れきっているのではないだろうか。