ここ一週間、札幌市内のコロナウイルス感染者数が増えてきている。
数字だけ見ると不安も募り、3月の自粛期間の事など様々な事を思い出す。
しかし、身近に迫っていると感じると、余計に恐怖心による偏見で、感染者への差別と排除をしてしまうと言う事例を耳にし、目の当たりにする。
「コロナより怖い人間」 春先にスーパーの店員が買い物客の様子を見て呟いた言葉。
コロナウイルスも怖い事に変わりないが、それより怖いのが人間とつくづく感じる。
「家族が感染してしまい、引っ越しをしなければならなくなった」と言う事例をニュースでは聞いていたが、親しい友人の親戚が引っ越しをしなければ暮らせないほど偏見にさらされたと聞いた。学校で感染すると学校名が報道され、感染者探しが始まる場合もあると言う。それは学校に通う子供たちではなく、多くは大人が感染者探しをし「危険」「近寄るな」と言う排除を正当化して訴えている。
繁華街に割と近い私のお寺は、はなれた地域からすると「危険な地域」と思われているようで、市外や道外の知人からは心配で「危ないね~」と言われるのだが、「危ないね」と言う言葉に何かモヤモヤしてしまう。
今、繁華街の道路を隔て、危険地域、安全地域と言っている人が多いらしいのだが、そこで生業を営む人は、その言葉をどんな思いで聞いているのだろう。コロナ感染の不安より、周りからの排除、偏見の目に不安を感じ、恐ろしさを感じながら小さくなって過ごしている人の方が多いのではないだろうか。
コロナなんて怖くないとは決して思わない。できる感染拡大の予防対策は行いながら、今までと変わりない日常を取り戻そうと足掻いている。
ひょっとしたら、偏見にさらされたとしても、私にも寄り添ってくれる人が必ずいるはずだと信じ、偏見のまなざしに差別されている人がいたなら、寄り添っていけるように…
目に入る、耳に聞く、不安に惑わされないように過ごして行こうと改めて思う。
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