7月15日は父の15年目の祥月命日。
夕方に集まれる兄弟、孫とお参りを勤めた。
お寺あるあるなのか、私がただ愚かなのか… 檀家さんの命日は覚えているのに、親や祖父母の命日は忘れがちになる。
「いつも本堂でお参りしているからいいだろう…」
自分勝手な言い訳をして、おろそかにしているのも事実。
先人の方々が「命日」と言う日を大切にしてきた意味をよくよく考えながらお参りを勤めた。
ご法事をはじめ、命日、お盆、お彼岸…仏教徒であれば、手を合わす機縁はたくさんあるはずだが、その機会が消滅し始めているが、その理由は何であろうか…。
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