日曜日の朝、まさかの知らせ。
青年僧侶の会に入り、20代から40代半ばまで一緒に活動し、たくさんの事を教えてくれた、本覚寺(別海町)住職、加藤泰和さんの往生の知らせが地元の後輩から届いた。
これまでも2回倒れ、その度に何もなかったかのように復帰され多方面で活躍されていた…だから、また元気にと考えたが、その知らせはその考えを打ち砕く知らせだった。
ご家族へのお悔やみ、何よりこの目で確かめないと信じられないので、昨日伺って、今生最期の別れをしてきた。行く道中、出会って二十数年間の思い出が走馬灯のように思い出される。
仏教の教えを根本とした、現代社会に問いかける新たな試みを真剣に、まさに命懸けで精一杯行っていた。
恥ずかしい事に私はその行動力にたじろぎ、距離を置いた事も少なからずあった。
東日本大震災の事が忘れられない。
一緒に札幌で会議をしていた最中に起こった3,11。道内もかなりの揺れで、会議を切り上げそれぞれ寺坊に戻った。
その確か三日後くらいだった。加藤泰和さんから電話「大志、1人で先に福島行ける?」
加藤泰和さんは福島の僧侶と連絡を取り合い、震災支援方法をずっと模索していた。先ずは現地に行かなければわからない…北海道からの先駆隊にとの連絡であった。
その数日後、もう1人の先輩僧侶と2人で東北に。翌日加藤泰和さんと合流し、3人で支援方法を模索しながら震災支援を行っていた。その数週間の出来事、2人の先輩僧侶の言葉、姿は鮮明に記憶している。人生の糧であり、これから歩むうえでの指針でもある。
私が前を歩いてくれていた、道をつけてくれていた…加藤泰和さんが逝ってしまった。
57年の人生。ふと感じる。
57年で人の三倍歩んだのではないか…と。早すぎる別れではあるけれど「お前も命懸けで歩まなきゃだめだからな!」と対面した瞬間、最期の説法をしてくれた気がする。
死は必然、生は偶然
偶々のいのち、僧侶として命懸けで精一杯歩んで行きますと誓い、お寺を後にしてきた。合掌
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