

私の様々な価値観が一変した東日本大震災から11年。
被災した地に立ち、人間の弱さと力強さを感じ、また支え合う力強さと支え合う難しさを感じ、何より私の無力さを思い知らされたのが11年前。
そんな11年前、自宅を含め甚大な被害に遭いながらも、少しでも周りを元気づけようと自宅の玄関先に花壇を作り、可愛らしい花を植えて、地元の人を花を通して和ませる活動をしていた、ある一人の女性の一言が忘れられない。
「こんな所まで、たくさんのボランティアが来てくれて本当にありがたいんだけど…。たぶん帰ったら、年数経ったら… 忘れられていくと思うんだよね。何回も来てとは言わないし、ずっと助けて、手伝ってとも思わないし、自分自身で立ち直っていかないとならないし、みんなに忘れられるのも仕方ない事なんだけど、 ここで頑張っている人がいる事を忘れないで思い続けてくれたら、おばちゃんは嬉しいし、頑張れるんだよね。もし何年後かでも、何十年後かでも、また顔見せに来てくれるだけでも嬉しいんだよね…」と言われた。
そう言われたので、私も手伝い「この花が咲くころ、また来ますから!」と言って花植えをしてから別れた。
その後、幾年かの間、東北に行くたび、ただ世間話をするだけだったが、おばちゃんに会いに行っていたが、町の復興工事に伴い住居が移転となってから、残念な事に会う縁が途切れてしまった。今は、すっかり町の景色も変わり、おばちゃんが和ませるために作った花壇はそこには無い…。
おばちゃんにも会えず、花を植えた花壇も無く、景色は変わり、その地に特別な用事がある訳ではないが、東北に行くたび、花壇があったであろう地に立ち、当時を思い馳せるようにしている。
「おばちゃん。しばらく会えてないけど、ずっと覚えているよ…。また来たよ…」と。
ただの私の自己満足かもしれない。だが防災の為に、いや私の生き方、価値観が変わったこの震災での出来事を私の中で風化させない為にも足を運び、思い馳せて行きたいと思う。
コロナ禍となってからの2年、東北の地が物理的に遠くなってしまったが、思い馳せ続ける事を改めて私の中で誓った。
これからも、出来る事なら自然災害による人的被害が少ないように、そしてどうかどうか全ての戦争がこの世界から無くなり、どのいのちも武力で殺される事がない社会を早急に目指して歩まなければならないと痛切に考えた3月11日であった。
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