夜も暮れて遅いので、翌日に得度式をされてはどうかと言われた時に、親鸞聖人が返された言葉と言われている。
「桜は明日見ればいいという心が仇になって、桜を見ることができないことがある。夜中に嵐が吹かないとどうして言えますか」
そのうち、そのうち…
まだ大丈夫だろう…
まだ先でいい…
明日は絶対ではないのに、私たちは日常をそんな心持ちで過ごしてしまい「しまった」と後悔する。
私のいのちも次の瞬間の保証はない。出会いもまた…だから今を最後のつもりで精一杯にと言う事を伝えてくれている言葉だと私は受け止めている。
この詠をよく詩吟で吟じられていた、ご門徒さんが往生された。祖父母の代からお世話になり、仏教婦人会会長、そして総代をつとめて下さり、幼少の頃から可愛がって下さったご門徒さん。
年齢的な事、体調を含めて、別れが遠くはない事は家族から聞かされていた。
受け止めなければならないが、声を聞けないと思うとただただ寂しく辛い。
たくさんの事を教えて下さった。詩吟で吟じられていたこの詠の心をしっかり留め置きながら、通夜葬儀を勤めさせて頂こう。
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