コロナ感染状況の悪化で、憲法について論じる集いなどは少ないだろう。
憲法と言うと戦争の放棄を掲げている9条のについて論じられる事が多く、改正を目指す政治家の多くが、この9条を改正し、私が思うに専守防衛と言う崇高な理念を改正しようと考えているのだろう。
9条の論議は置き、コロナ渦の中で改めて憲法を大事に考えたいと感じる。
憲法25条の生存権(すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない)
1年以上続く国民への兵糧攻めのような、政治家に都合のいい忖度を感じずにはいれない連発された自粛政策。経済だけでなく、心身が疲弊させられ、他を誹る分断が生まれ、健康で文化的な「最低限度の生活」すら失われているのではないか。国民の生存権を守らなければ、国の今の政策は違憲。
ライト消したり点けたりしても、プラカードを持って練り歩いても、テレビのワイドショーで言い訳混じりに予防策を訴えても、信頼を失ったものからの声は悲しいかな、もう市民に響かない…
若者だってウイルスについて他人事とは思っていないはずなのに。
日本社会のコロナ渦を鑑みたとき、今の国(国会議員)に改正について論じる資格も時間も無いと私は考える。憲法で規制されてるから感染予防対策が出来ないなどという暴論も言われているが「ふざけるな」と言いたくなる。
現憲法をしっかり鑑みる政治を行う国であって欲しい。
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