先日、ドキュメンタリー映画「I 新聞記者ドキュメント(監督 森達也)」を視聴した。
上映は見に行けず、すでに終わっていたので、DVD発売を待ってようやく視聴できた。
内容は東京新聞の望月記者の様子を追うとともに、森達也氏の首相官邸、記者クラブ、既存メディアへの疑問も含んだものであったと思う。
数日後に札幌で公開される「はりぼて(監督 五百旗頭幸男・砂沢智史)」と言う映画も時間が合えば、見に行きたいと思う。一時、ニュースでも報じられていたが、多数の富山市議会議員の政務活動費不正受給、相次ぐ議員辞職を追うドキュメンタリー映画だと言う。
長く政治不信が問われ、政治家の問題行動が頻発しているているが、一向に不信が拭われる感じは無い。毎回、選挙に於いて投票率が低く、無党派層と言われる有権者が多いのは、多くの国民が悩んでいる問題に答え(応え)ない、政治家、既存政党への不信感と諦めが大きいからなのでは。どこかで期待していたけれど結局変わらなかった…と言う。
ふと思う。私たち僧侶も同じ問題を抱え、社会から見られているのではないか。
「信仰する宗教は?」と聞かれ「無宗教です」と答える割合は年々増えていると言う。
「世間体で仕方なく親のお葬式を仏教式でしたけれど、坊主(お寺)の必要性を感じない」と言う声を聞き、ただの批判ではなく素直な気持ちだと感じた。
無党派層が多く、選挙に行かない人が多いと言う事実と、どこか一致する。
個人的に東日本大震災以降、特に政治家の必要性が見いだせなくなる事が多いのだが、周りから見れば私たち僧侶も同じなのだろう。
人を指す言葉は次から次へと出てくるのに、自分自身を指す言葉は出てこない。
「人の事ばかり言ってないで」そんな声がふと頭をよぎった。
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