天寧寺第四世住職、永江雅俊さんが往生され、お悔やみの参詣をさせて頂いた。
棺越しではあったが10年ぶりの対面をさせてもらい、幼少のころから見ていた父親と永江雅俊さんとの様々な活動場面が走馬灯のように思いだされた。
幼少時、私は「ひげのおじさん」と言っていた。口ひげやあごひげを生やし揃える事が幼少の私にとってはとても珍しく、ひげを生やして袈裟衣をつけているのがおかしく感じていた。そんなひげのおじさんが大乗寺の報恩講に来て、シンセサイザーを奏で、その演奏に合わせ、父親が誌の朗読をしていた。
私は、父親の誌など耳に入らず、演奏している永江雅俊さんを純粋にかっこいいと思い「シンセサイザーをひく、ひげを生やしたかっこいいおじさん」となっていた。
それからどれくらいだろうか…永江雅俊さんがテレビニュースに出ていたのをたまたま見て、かじりつくように視聴した。
ニュースは確か泊原発の稼働に反対して、永江雅俊さんがハンガーストライキを行うと言うものだった。
ひげのおじさんが袈裟をつけ静かに座り、原発反対、稼働反対を訴える姿が映し出されていた。
その当時、原発について知識も見聞もなく何もわからなかったが、ただテレビにうつされた「ひげのおじさん」をただかっこよく思った。
私は何をかっこいいと感じていたんだろうかと、帰る道中考えていた。
たぶんそれは、絶対に曲げない、仏教の教えに裏打ちされた信念に、親子ほど年が離れながらも共鳴させられていたのだと思う。
曲げない信念にケンカも多かったと思うし、家族も大変だったと想像する。でも曲げない信念にたくさんの法友、同朋も間違いなくいた…
おこがましいかもしれないが、私は永江雅俊さんから見て法友、同朋と数えられていただろうか?
11年前、父親の一周忌、私の住職継職法要に出勤頂き、法要後「僧侶として、住職としてもう大丈夫だわ。安心した。顕真さんも安心してるわ」と微笑みながら言ってくれた永江雅俊さん。
誰よりも嬉しい一言だった。
私もかっこいいと共鳴されるような僧侶になれるように歩んで行こう。
合 掌
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