お通夜を終えて

ご門徒さんのお通夜を勤めさせて頂いた。

長く入院、闘病をされていて、晩年はお会いするたび「もうすぐ俺の番なんで宜しくお願いします…」と真剣な表情で言われ、答えに窮する事もあった。

身体が健康で元気な時、自分の葬儀を依頼されれば明るく「大丈夫ですよ」「任せて下さい」とすぐに答えられるのだが、病に伏している中での自身の葬儀依頼は、答えに戸惑ってしまう事もある。

しかし、この方は生きるのを諦めたり、投げやりになって「もうすぐ俺の番なんで…」と言っていた訳ではなく、自身の病と死と言う事実を真正面から受け止め、今日生きている喜びを心から感じていたからこそ、顔を合わせるたびに私に自身の葬儀依頼を真剣にして下さっていたのだと改めて感じさせて頂いた。

「葬儀の事は何にも心配しないで下さい。あとの事も何でも相談に乗りますし、大丈夫ですから。何も心配しないで先ずは体の事を考えて過ごして下さい」と答えた時、ニコッと笑って安堵したような表情で「そう言ってもらえて安心しました。あとはいつまでかわからないけど頑張れるだけ頑張って、ゆっくり過ごして行きます…」と笑顔のまま言われた事をふと思い出した。

カウントダウンのような余命を数える毎日ではなく、今日を精一杯、ゆっくり、大切に過ごしていたのだと思う。晩年の入院生活は面会も制限され、外出なども叶わなく、家族も本人も辛く寂しい思いをしたと思うが、それでもきっと「かけがえのない今日」と病床の中にあってもいのちの喜びを感じて最期まで生き抜かれたと思う。

「何も心配しないでください」と伝えた言葉にしっかりと責任を持って勤めさせてもらいますと誓いながらお通夜を終えさせて頂いた。


感染症により、葬儀の形態が一気に変わりつつある。一言で言えば簡略化が一気に進んだ。

葬儀不要論も言われ始めている。お布施を含め、わからない中で決まってしまう高額な葬儀費用の問題もある。一つ言える事は、葬儀での生じた不満に僧侶側が耳を傾けてこなかった事が原因の一つだと思っている。簡略化してもいいものもあるが、最期の弔いは時間をかけて、家族だけでなく、できるだけ縁あった方々と一緒におくってほしいと願う。