感染者数の増減により、似たような議論が繰り返されて1年…
新たな対応や対策は乏しく、繰り返される行政からの様々な箇所への自粛要請と医療逼迫の報。そして、メディアのどうどう巡り議論はいつになったら終わるだろうか。
自分にとって一生に一度と思うような大切なことでも、他人によっては「たかが」と思われる。
他人にどう思われようとも、当人にとったら一期一会と思っている大事なことはあるもの。
そんな当人の心の中を察しない、他人同士の「たかが」の議論に、心が荒んでしまう人が多いのではなかろうか。
ミャンマー市民、ウイグル族自治区市民、香港人、争いによって生じた世界中の難民…言われない弾圧を受けている人々にとって、ひょっとしたら今「たかがコロナウイルス」と思うような状況かもしれない。しかし現状、世界の当事者でない多くの者にとって「そんな事より、されどコロナウイルス」
「たかが」と「されど」自他の価値観を押しつけたり、ぶつけ合わないような歩み方は無いものだろうか。
Comments